2022/8/16

盆の休みの時期が終わり、徐々に仕事がまた始まるという世の中の雰囲気の中、「盆休み」の概念が無く普段通りの休日を過ごした。母方の祖父母の墓参りには、しばらく行っていない。まだ私が2歳かそこらの時に亡くなっている。母方の祖母が居間で見守るなか、物置になっていた部屋にあったハローキティの滑り台で遊んだ記憶しかない。祖父の記憶のほうは一つもない。母方の祖父母がいたら、孫としてどう関わっただろうと思う。母方の祖父母は孫が多い(つまり私は母方のいとこが多い)から、もしかすると覚えてもらえないかもなと思う。父方の祖父母は健在だが、先祖代々の墓に参る習慣も、今年は無かった。父方の代々の墓は墓場という厳か、あるいは恐ろしい場所というより、子どものころはちょっと珍しい遊び場くらいの感覚で、墓参りの時にしか買わない色や形の花を切ったり水を汲んだりするのを、レクリエーションだと思っていたところがある。真剣な供養ではなかった。線香をいじくりながら、誰は誰の兄弟で、この間会った人は誰と誰の子で、という親戚の繋がりを聞き流しながら覚えていった。墓参りに行くことを絶対にしているわけではないけれど、「夏の出来事のひとつ」として捉えてきたからか、一つも行かないとそれはそれでなんとなく気にしてしまうもので、刷り込みだと思う。

 

職場の人から、美味しいお土産をいただいた。その人も冠婚葬祭の関係で遠方にいったのだが、いただいたお土産が毎回違うものなのですごいなと思う。私なら毎回同じものはさすがに、と思って物珍しいのを選んだはいいものの、自分用に買った同じものが美味しくなくて渡すのをあきらめると思う。過去に数回、美味しくないから渡せなかった、反対に美味しいから渡したくなかった、というのをやっている。以来、思い切ってみんなに配るタイプのお土産を買ってこないことすらある。コロナの時勢もあるから前ほど遠方に出かけてということがないから、「もう大丈夫なんでバンバン旅行に行ってください」と言われたら、お土産を選べなくて言った先で今まで以上に頭を抱えるかもしれない。